医食農同源とは

 東洋医学には,健康を食と薬の源は同じという観点からとらえる,いわゆる「薬(医)食同源」思想があります.「薬(医)食同源」思想に,さらに食材や薬草を育てる農を取り込んだものが「医食農同源」という健康観です.そして,それに基づいた学問体系を構築しようとするのが医食農同源プロジェクトです.

 

医食農同源プロジェクト

 薬草は様々な病気を直すという健康機能性をもち,それを安定して生産することは重要です.しかし,普段の食事で口にする野菜や果物にも,人の身体を健康に保つ成分が含まれています.したがって,医食農同源プロジェクトでは,薬草だけでなく,野菜や果物も健康機能性植物と考えます.健康維持に役立つ成分がより多く含まれる野菜や果物,あるいは身体によくない成分だけを減らした野菜や果物などの生産も重要です.このプロジェクトでは,薬草だけでなく,身近な野菜や果物,伝統的な食材などが,その研究対象となるのです.

 

プロジェクトの研究内容

薬草の園芸的生産

 日本で使われる薬草は多くを輸入に頼っています.そして将来的には,世界的な生薬需要の増加,環境破壊などによる輸出国の薬草自生地の減少などから,輸入が困難になると予想されています.国内生産されている一部の薬草も,その生産量はわずかで,しかもこれまで薬草の栽培法を改良しようという試みは,ほとんど行われていません.一方,園芸植物は高度な栽培法が確立しています.その高度な生産技術を薬草に応用し,国内生産の安定や増収を目指して研究を行っています

 

 例えばセンブリは,秋にタネをとって翌年の34月に畑にタネをまき,翌年の10月頃に収穫されます.現在栽培に使われている品種は,1970年代に開発されたものです.

 

センブリの畑

黒いシートの下には,タネをまいて1年目の株

 

タネをまいた翌年の収穫期を迎えたセンブリ

 

 

 センブリのタネは,採集した翌年の56月には芽が出なくなるとされていました.しかし,研究の結果,数年はタネを貯蔵できることがわかりました.また,薬用成分を多く含む系統も見つかりました.さらに,系統によっては,1年目の株の方が成分を多く含むこともわかりました

 また,現在のセンブリ栽培は,畑を2年連続で使用するので,その間に病気が発生するリスクもあります.例えば下の写真はまもなく収穫する予定の畑でしたが,病気で全滅しました.この畑は,結局2年間かけて1円にもならなかったことになります.来年タネをまき直しても,それが収穫できるのは再来年です.そしてそれが収穫できる保証はありません.

 

収穫間際に病気で全滅したセンブリの畑

 

 

 しかし,1年目の株を有効利用する,1年目は園芸植物のように別の場所で苗作りをするなどで,より生産の安定と増収が可能になるかもしれません

 

1年目のセンブリ

園芸的生産技術の応用について研究が進行中

 

 

 ミシマサイコという薬草は,肥料分が少なく水はけのよい場所で良品が生産でき,そのような場所以外では生産が難しいとされます.私たち園芸植物栽培の専門家は,それならば水はけがよい土,あるいは土に代わるものを使って,肥料を少なく与えて育てればよいのではないかと考えます.

 そこで試しに塩ビ管に養液栽培の培地3種類を入れ,薄い液肥を与えて育ててみました.塩ビ管を用いたのは,まっすぐな根になるだろうと考えたからです.ある種の培地ではそれなりの根が収穫できました.

 

塩ビ管で試しに育ててみたミシマサイコ

 

塩ビ管の中は種類の異なる培地

 

 

 2010年度からは本格的にミシマサイコの塩ビ管栽培について研究をスタートさせます.研究が進めば,日本全国でミシマサイコを栽培できるようになるかもしれませんまた,薬草には根を使うものが多いので,その他の薬草栽培にも応用が可能と考えられます.

 

薬膳素材としての適性が高い野菜品種の探索

 東洋医学における薬膳とは本来,特別な食事ではなく,「薬食同源」思想や「陰陽五行説」に基づき,日常的な食生活を通じて健康維持や改善を図るものです.そのため,日常的に使用する食材に特有の味と健康機能性が重要です.これをあわせて性味(せいみ)と呼びます.しかし,現在市場に流通している多くの野菜は,作りやすさと食べやすさを重視した品種改良の結果,独特の風味やクセが少なくなっています.

 

多くの種類があるニンジン

一番左が市販されているタイプ

 

 

 そこで,地方で細々と栽培され続けている昔ながらの野菜品種を集め,機能性成分量や味などから総合的に,薬膳素材としての適性が高い野菜品種を選抜しようという研究を行っています.これまでに得られた結果の一部ですが,ダイコン十数品種を比較したところ,機能性成分を多く含み食味もよい品種が見つかりました.

 

ダイコンの品種比較

 

 

 また,ニンジン十数品種についての調査でも,やはり機能性成分を多く含み,風味も強い品種が見つかりました.

 

ニンジンの品種比較

 

 

 現在,サトイモ,ニガウリなど,その他の野菜についても研究を進めています.作りやすさや食べやすさを求めてきた結果から失われてきた野菜の独特の風味が,この研究によって復活するかもしれません

 

低カリウムトマトの栽培技術開発

 わが国では現在,約1,330万人が慢性腎不全の患者で,約28万人が人工透析を受けています(2008年のデータによる).そして,患者数は今後も増加すると見込まれています.人工透析を受けている人は,カリウム摂取量を11,500 mg以下(健常者の3分の1以下)に制限されます.野菜には多くのカリウムが含まれるので,患者さんが食べる場合には,よくゆでて絞る,水にさらすなどでカリウムを減らす必要があります.

 しかし生食が主で,ゆでて絞る,水にさらすなどの調理法がないトマトは,調理でカリウムを減らすことができません.したがって,患者さんの食卓にはほとんど上らなくなります.そのためか,患者さんから「トマトを丸かじりしたい」という強い願望を聞いたことがあります

 カリウム含有量の少ないトマトを生産できれば,その願いをかなえ,日常の食生活に潤いをもたらし,QOL向上が期待できるのです.そこで,中玉トマト(ミディトマト)を材料に,養液栽培技術を利用した特別な栽培方法によって,果実の大きさや味を落とさずにカリウムだけを減らすという研究を進めてきました.

 

栽培試験のイメージ

 

 

 最初の試験では,トマトの花が咲いた直後から,カリウムを与えるのを停止してみました.しかしこれだけでは,果実のカリウムは25%しか減りませんでした.そこで,試験を繰り返しながら,少しずつ栽培法の改良を行ってきました.

 

 

 

 そして,このように品種によって反応が違いますが,果実の重さにほとんど影響させずに,果実に含まれるカリウムを4060%減らすことができました.また,甘さにもほとんど影響しませんでした.しかし,酸味が減ってしまいました.実際に食べてみてさほど違和感はありませんでしたが,味のバランスという点ではまだ改良の余地があります.実は,途中の試験で,カリウムを80%近く減らせたのですが,甘味も酸味も少なくなってしまいました.カリウムを減らすという目標は達成できたのですが,食の楽しみに関わる研究ですから,おいしくなければ意味がないのです.

 

見た目は普通と変わらない低カリウム中玉トマト

 

 

 現在,中玉トマトで用いた栽培方法が大玉トマトでも有効かどうか,もともと酸味の強い品種を使ったらどうなるか,他の養液栽培システムでも通用するかどうかを検討しています.健常者にとっては何の役にも立たない研究です.しかし,これも医食農同源プロジェクトの重要な研究のひとつです.

 

公開済みのプロジェクトの成果(センター全体の業績はこち

池上文雄・兼子まや・塚越 覚・井藤俊行・永塚孝幸・松本二郎・宮本 久・宮本浩邦.2008.漢方薬草の有機無農薬栽培システムの開発.日本薬学会128年会.講演要旨集257

塚越 覚・柳沢一馬・兼子まや・山田麻美子・元木 悟・萩原保身・井藤俊行・永塚孝幸・松本二郎・宮本浩邦・池上文雄.2008.凍結保存年数が異なるセンブリ種子の発芽と生育・収量.園学研.71361

濱野恵理子・塚越 覚・北条雅章・野田勝二・小山里美・池上文雄.2008.腎臓病患者のための低カリウムトマトの生産.園学研.72552

兼子まや・柳沢一馬・塚越 覚・元木 悟・萩原保身・井藤俊行・三輪正幸・永塚孝幸・松本二郎・宮本浩邦・野田勝二・池上文雄.2008.センブリの生育とスウェルチアマリン含有量の系統間差異.園学研.72554

山田麻美子・兼子まや・柳沢一馬・塚越 覚・元木 悟・萩原保身・野田勝二・池上文雄.2009.保存温度および種子選別とジベレリン処理がセンブリ種子の発芽に及ぼす影響.園学研.81195

濱野恵理子・塚越 覚・北条雅章・野田勝二・小山里美・池上文雄.2009.腎臓病患者のための低カリウムトマトの生産(第2報)摘葉および多段どりが果実K濃度に及ぼす影響.園学研.81403

兼子まや・山田麻美子・柳沢一馬・塚越 覚・元木 悟・萩原保身・三輪正幸・井藤俊行・永塚孝幸・松本二郎・宮本浩邦・野田勝二・池上文雄.2009.栽培地の標高がセンブリ1年生株の薬効成分含有量に及ぼす影響.園学研.81449

濱野恵理子・塚越 覚・北条雅章・野田勝二・池上文雄.2009.腎臓病患者のための低カリウムトマトの生産(第3報)カリウム欠如処理が果実のK濃度に及ぼす影響の品種間差異.園学研.82511

兼子まや・柳沢一馬・山田麻美子・塚越 覚・元木 悟・萩原保身・池上文雄.2009.種子の凍結保存がセンブリ実生のスウェルチアマリン含有率に及ぼす影響および抽出法による成分回収率の差異.園学研.82515

高野麻美・犬塚沙織・塚越 覚・北条雅章・池上文雄・武永早苗・中尾千草・瓜生 登・萩原俊彦・青木仁史・花村高行.2009.薬膳素材としての野菜の適性に関する研究(第1報)“味”を指標としたダイコンの品種比較.園学研.82512

高野麻美・北条雅章・塚越 覚・池上文雄・萩原俊彦・中尾千草・山田浩輔・花村高行・武永早苗・青木仁史.2009.薬膳素材としての野菜の適性に関する研究(第2報)“味”を指標としたニンジンの品種比較.園学研.82513

兼子まや・元木 悟・柳澤一馬・塚越 覚・池上文雄・松本悦夫・萩原保身.2010.薬用植物センブリ栽培の歴史と現状.園学研.91249

高野麻美・斎藤優子・北条雅章・塚越 覚・池上文雄・萩原俊彦・中尾千草・山田浩輔・花村高行・武永早苗・青木仁史.2010.薬膳素材としての野菜の適性に関する研究(第3報)含有成分と官能評価によるニンジン数品種の総合評価.園学研.91392